2012年10月30日火曜日

西丹沢の秋

西丹沢の紅葉です。
ここは結構好きで毎年写真を撮りに行っています。
この写真は一昨年のものです。
昨年は紅葉の時季がいつもより遅かったので、一昨年がジャストかもしれません。
この写真は丁度駐車場にあったクルマを入れてみました。
そうしたら、クルマのパンフレットみたいねと言われました。
まさしく紅葉は紅葉のみではあまり面白くありません。
何かと組み合わせる、反射を使う、枠を使うなどよくします。
この写真のクルマが少し古い感じだったのが趣になっているかもしれません。


多賀谷哲也

2012年10月29日月曜日

円覚寺の秋

秋深まった昨年の円覚寺の写真。
この日は小雨そぼ降る少し肌寒い日。
カメラを持つ手も長時間だと冷たくなる。
紅葉をみている向こうで小さな子供達の集団が。
どちらにフォーカスをと考えたところ。
子供達のさす傘がカラフルで可愛いので、こちらを背景にいただこうとしました。
子供達も可愛かったのですが、傘の色も可愛いので。

多賀谷哲也

2012年10月26日金曜日

聖湖

前から知ってわけでもなく。
ただ高速で長野自動車道の姥捨近くで気になって湖です。
それを一度観てみたくて寄っただけです。
冬はスキー場、でもそれだけではもったいない程の湖でした。
思いがけず癒された場所でした。

多賀谷哲也

みくりが池

立山、室堂の短い秋
次は一番大きなみくりが池です。
前回春に来たときはまるで池は見えませんでした。
夏に来たときは池のみが見えて周りは雪を被っていました。
そして秋。
やっと地面が顔を出しました。
雪が溶けて次の雪が降るまでの時間は短いです。
ましてや紅葉。それに天候を加えるチャンスは少ない。

多賀谷哲也

2012年10月24日水曜日

50歳を過ぎてから夢を叶える(BLOG版)

夢を実現するのはいくつになっても大変なことで、そして価値あることです。
これから一人の女性とその連れ合いとの夢への歩みを記してみたいと思います。

彼女に初めて会ったのは銀座スイング、私の師匠でもある萩谷清氏のバンド
Kiyoshi Hagiya SuperBand(現在のSPB)のライブでした。
彼女は京都からはるばる駆けつけて来たのでした。
それは今から12年程前になります。

彼女は倉田信雄さんのファンであることはわかりました。
早速倉田さんとのツーショットの写真を倉田さんにお願いしたわけです。
彼女はその頃ピアノを弾いていて、京都でSTUFFのコピーバンドらしいことを
やっているので、SPBのファンなのだろうと疑いもしませんでした。

そして彼女は萩谷清さんの後援会件ファンクラブの清柳会に入会するのでした。
彼女のバンドもSPBの演奏ナンバーであるBRAZILIAN STOMPなども演奏していた
ことから、同じ清柳会の澤辺さんと私と彼女のご主人とのユニットGTORを組むことになるのでした。
その頃はまさか現在のような展開になるとは夢にも思いませんでした。
彼女は常に夢を追い求め現実少しずつ前に進める人でした。

まずは、銀座スイングに京都から来たことが彼女の人生を変える大きな一歩だったのだと思います。

しかし、其の後の展開はさすがに夢にも思いませんでした。

(その弐)
菅平とGTOR
2002年の秋には清柳会という組織で大人の遠足に行こうということになりました。
行き先は菅平のホテルマッキンレー、ここのオーナーは流石(さすが)さんと言って、もともとジャズギターを弾いていた人で、ここに移り住み
スキー教室とジャズ教室を開いていらっしゃいました。ここにはライブできるスペースが食堂にあり、以前から山岡未樹さんも生徒さんを連れてスキー合宿をされていました。
この大人の遠足でも当然、萩谷師匠を中心にみんなで演奏をしようということになり、ただセッションでやるのはつまらないからということで
GTORというユニットを結成します。ここのGというのは彼女のご主人で
ニックネームが「がっちゃん」から来ています。彼はベーシストです。
本職は京都では今は数少ない染め物職人さんです!
Oが彼女、Rは良一さん(ほんとうはよしかず)。
しっかり、曲もキメも 準備してしょっぱなを飾ります。
あとはセッションタイム、流石さんもギターやスチールギターで飛び入り
延々とセッションが続きます。
Rさんの本職 ヴォーカルですが、実はこの年の始めに京都での萩谷清ライブがあり、その翌日のセッションでRさんがドラムを叩いたらかなりいい感じということでRさんはこのときはドラマーでした。
このペンションのオーナーの流石さんは菅平ジャズフェスティバルを運営されている方で実はこのペンションの裏に或る建物を建設していたのでした。
「来年からはここで録音できるから!使って!」
まさかね、正直半信半疑でしたが。
これが、後々色々なことに繋がるなど。。。思いもよりませんでした。

(その参)

菅平とエンジニアの木村さん
ホテルマッキンレーのスタジはどうみても外見が体育館(失礼)
中は練習ホール。なのでそれなりにものだろうというのが第一印象。それから年月が経つのです。
エンジニアの木村正和氏、VMEでは「Method」はじめとして
数多くの レコーディングでお世話になっているエンジニアさんです。
或るとき「菅平でレコーディングして来ましたよ!」と仰る。
「それもしかして流石さんのところですか?」と私。
聞いてみると平原綾香さんの「そら」じゃありませんか!
なんと素晴らしい空気感。
「さすが(流石)菅平!」と思わず。
菅平のもつ清涼な空気感と流石さんのスタジオの自然なリバーヴが見事に作用しているのに驚かせられました。
そして、次の録音テーマ「L5ブラザース」をそこで録音することに迷いはありませんでした。
二人のギタリストの直居隆雄さんと萩谷清さんとがGibison L5を使ってのDuoなのです。こちらはアンプを通したものの、見事にその空気をインクルードして一発録りのライブ感が演出されています。
http://amzn.to/NSGqBQ

そして、その後は亡きジョンレノンをトリビュートした、萩谷清
「イマジン」と繋がります。こちらは打ち込みを含んだアルバムに菅平の空気を重ねるという試みです。
あさばみほさんや、粥川なつ紀さんの参加で見事な音に仕上がりました。
Help:
http://bit.ly/sLiI2k
ノルウェーの森
http://bit.ly/v20KUh

もう、ここを使わない手はないでしょ。


(その四)

彼女は2005年くらいから唄をうたうようになります。
ある夏期親睦会に久しぶりに登場して来ました。
その時の彼女が自分で作詞作曲するシンガーソングライターになっていました。
その時からが夢を具体化する一歩に入ったのだと思います。
その曲はやさしく、深みがあり、その詞は独特の世界観があります。
それからしばらくして京都のRAGへ訪問した折りに、会う機会があり。
私、最近ファンが出来たんです。
ライブをやるとけっこう人が入るんです。っと。
だから、その時に折角来たついでに何か渡したい、そうCDでも渡したい。
という話が。
その時の彼女はまだ、軽く考えていました。
ライブの音源をCDに焼いて安く売る、そんな程度だったようです。
後に音源を聴かせてもらいましたが。
演奏や唄の問題以前に音質が今ひとつでした。
ライブは臨場感があるし、その場の雰囲気が大事。でも音だけになったら
ライブで感動して帰った人が後で聴いてみると、あれって思わないだろうか。

だから、私は反対しました。
CD作るならちゃんとレコーディングしましょうよ。と。
別にハコで重ねて録らなくてもいいので、構成はライブ的で構わないので
ちゃんと録りましょうよと。

それから、数年にわたり彼女達の悩みが始まるのでした。
時は韓流ブーム、その間に年齢層の高いファンはどんどん増えていくのでした。

なんだか、既に流れは出来ていたんでしょうね。

(その伍)

ライブの音源をCDにするというのはある意味理由があるのです。
それは弾き語りだからです。
普通にスタジオで録音したとしてもピアノの音と唄は混じってしまいます。
従ってJAZZなどと同じように基本一発録りになります。
なので、ライブなどで演ったものを録っても演奏は基本それほど変わりません。
しかし、音ばかりはもっと複雑な要素が絡みます。
マイク、場所、録音技術、色々なものが絡んで来ますから。それは私は判っていたつもりなので
強く進めなかった(暗に反対した)理由です。

その間実に5年程消費しますが。
試行錯誤を繰り返していました。
ライブを何回録って、1年半程前にこれでどうかという内容でマスタリングまでやってみたところ
あまりクオリティが上がらず、一度ペンディングになりました。
初めてCDを手にした人はラそのCDがライブとは別の楽しみ感が必要だなと思いました。
そうして今暫く迷走することになります。
でも、その間に良かったことは、曲がどんどん出来、ライブの回数を重ね、曲アレンジが洗練されてきたことです。
こうやって機は熟してきたのです。

やがて決断のときがやってきます。

(その六)

(決断の時)
そのユニットは夫婦(めおと)ユニットです。漫才じゃありません。
妻が弾き語り、夫がベースで包み込むようなそんなユニットです。
これだけでももう雰囲気が出て来ます。
曲に
チェロやヴァイオリンが加わります。

さらに加えて詞がキャッチーです。キャッチーという言い方はあまり当たってないですね。言葉に癒されます。
それに加えて昭和なメロディーラインが昭和世代の心をわしづかみにするのでしょうね。
逆に20代以下の若い世代には新鮮に映るのでしょう。
そんな二人に決断の時が来ます。
忘れもしない2011年12月8日です。
二人はもう気付いていましたね。中途半端なものを造るのは駄目だと。
思い切って清水の舞台から飛び降りる決断をしたのです。
造るなら一生もののモノを造ろう。
50歳を過ぎてから造るのだから渾身の一枚を造ろうと。
貸し切りの居酒屋で決断をしたのでした。
録音場所は「菅平」
エンジニアは同じ場所で平原綾香さんの「空」と録った方
菅平の空気感と弾き語りを混ぜてCDにしようと。

ついに決断したのでした。
50歳を越えてからのCDデビュー。
ユニット名は「風花(かざはな)」
アルバムタイトル「心の花」

(おまけ)
シメサバの会というのがあります。それはこの冬に閉店してしまった、つきみ野の「吉之助」というお店のシメサバが圧倒的に美味しくて、我が萩谷清師匠やH弁護士先生、そしてシメサバ大好き人のRさん等が集まってシメサバを食べる事になっています。
その「吉之助」という店が閉店することになり、2月にシメサバの会が実施されたのでした。
その席での話題は勿論菅平での録音でした。
そして座は盛り上がるうちに師匠の英断が出たのでした。
師匠自ら協力しようと。
その流れで、師匠と彼女が憧れるピアニストさんに助けを求む ということで菅平と東京での二カ所の録音が決まったのでした。
その後打ち合わせが進むに連れ、菅平では バイオリンとパーカッションが加わる事に。
レコーディングの日記的なものは本人に任せるとして。
このアルバムは11月16日発売です。
http://amzn.to/VhYx8N

2012年10月22日月曜日

時代祭

第三回町田時代祭りです。 流鏑馬もだいぶ定着したようで、すごい人です。 今回は武者の数も増え、サラブレッドの登場で度肝を抜かれました。 とにかく早い、二射目を準備しているとすでに的を通過してしまう。 スピードも早いこともされながら初陣でもあったのです。 しかし。それに比べると日本の馬の可愛らしさも感じてしまいました。 いずれにしても、サラブレッドも武者も来年の成長がさらに楽しみです。
多賀谷哲也

2012年10月20日土曜日

曼珠沙華とクルマ

紅葉前の秋のまだ少し汗ばむ季節。 曼珠沙華が彩ります。 そんな紅の群生と緑の芝。 そんな場所でお弁当を食べて、のんびりと昼寝などはどうだろうか。 幸せな時間ではなかろうか。 ついついシャッターばかろ押す手を緩めてそんな思いを馳せてみた。
多賀谷哲也

2012年10月18日木曜日

御射鹿池(秋)

みしゃかいけの秋バージョンです。 前回の夏バージョンに比べだいぶ緑以外の色が目立ちます。 東山魁夷の「緑響く」はおそらく新緑だと思われますが。 秋は秋でまた趣が違いますね。 本当に静かです。 前回も書きましたが。次は冬ねらいです。
多賀谷哲也

2012年10月15日月曜日

ダリア上のアナタ

G線上のアリアならぬ。。。 町田ダリア園、秋の部 町田のダリア園はとにかく種類豊富で素晴らしい(自画自賛) 種類が豊富なので、全部カメラに収めるのは大変。 そんな時に、どこからか蝶がやって来てダリアの上に。 しばらくじっと動かないので。パチリ。 なんとか瞬間を絵に。
多賀谷哲也

2012年10月14日日曜日

ミドリガ池

立山、室堂の短い秋 ミドリガ池周辺は夏まで雪が残る事が多く。 なかなかこのような景色を視る観るチャンスは少ないのです。 雪が溶けて次の雪が降るまでの時間は短いです。 ましてや紅葉。それに天候を加えるチャンスは少ない。 昨年はまったく駄目だったのでいいリベンジが出来ました。 空気は薄いけど、とても新鮮です。
多賀谷哲也

2012年10月11日木曜日

巾着田ツートーン2012

9月14日の日記は昨年のものですが。 この写真は今年のものです。 どこが違うか、ってそれほど違いはありません。 同様に台風一過。 違いは満開かそうでないか。 そして晴れているかどうか。 晴れてしまうと、木漏れ日が赤い絨毯に差し込んでしまうので 太陽が雲に遮られるの待って撮るわけです。 そうすると緑と紅のツートンが完成するわけです。

多賀谷哲也

2012年10月9日火曜日

チングルマ

夏は愛らしい花を咲かせる高山植物。 秋に出会うと一瞬、えっと思うが。 これが果実なんだそうです。 もう種子になってタンポポのように何処かへ飛んで行きそうですね。 チングルマの果実に出会えるのはほんのわずかな時間。 出会いを大切にしなくてはね。
多賀谷哲也

2012年10月8日月曜日

ハロウィン

グランベリーモールのハロウィンシーズンはいつも派手目のデコレーション つまり、あちこちかぼちゃだらけということですが。 今年はだいぶ地味です。 夜になると唯一の電飾がこれ、可愛いお化け。 こんなお化けならいいですね。
多賀谷哲也

2012年10月7日日曜日

あいあい橋

埼玉県日高市にある高麗川にかかるあいあい橋です。 巾着田と高麗郷民俗資料館を結ぶ歩行者専用の橋である。 竹下政権の時のふるさと創生資金で作られた模様。 りっぱなの木製の橋。 一見アーチ橋のように見えるがトラス橋。 曼珠沙華のシーズンは巾着田を俯瞰できる。
多賀谷哲也

2012年10月6日土曜日

覚満淵

赤城の大沼の隣にある標高1360mの湿原地帯をこう呼ぶ。 植生は尾瀬を小さくしたようなものである。 なので、夏は色々な花や植物を楽しむことができる。 この写真は秋なので、すでに景色が茶色くなってしまっている。 この向こうに広がる湖が大沼と呼ばれ、冬ではワカサギ釣りで賑わうのである。
多賀谷哲也

2012年10月3日水曜日

燃える緑と紅(巾着田2012)

今年も台風一過におじゃましました。 昨年のように幹が倒れているようなことはありませんでしたが。 一部、曼珠沙華の株が倒れ、木の枝が落ちていたりというのはありました。 昨年同様秋桜畑はほとんど倒れていました。 それにしても暑かった、曼珠沙華の満開の時が暑いなんて珍しいですよね。 昨年よりもだいぶ赤くなっていたのは収穫でした。 それにつけても、曼珠沙華は秋桜よりも強し!

多賀谷哲也

2012年10月2日火曜日

レアンドロのプール

二十一世紀美術館三回も行きました。 けっこうお気に入りです。 このプール面白いでしょ。 下にも行けるし、上からも見れる。 楽しいプールです。 さすがに大雪のときは行けませんでした。 こんな楽しい美術館はなかなかありません。
多賀谷哲也

2012年10月1日月曜日

ひこうき雲

飛行機雲といえば、かつての荒井由実(ユーミン)さんの曲を思い出すのはある程度の年齢の方だろうか。 かの唄の歌詞は意味深で、病気で亡くなった少年の死を書いたものだが。 曲そのものは、とても明るく救いを描いたように聞こえる。 空は夢や希望をヒトに与えてくれるものだろうか。 秋の空、天高い。 高いのは空気が澄んでいるせいであろう。 そんな夕景の中に出来たばかりのひこうき雲。 唄を思い出してしまう。
多賀谷哲也